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シンポジウム「みんな違って、みんないい」に違和感あり! ―「ダイバーシティ」でホントにいいの? 報告

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◆日時:  2022年2 月 1 9 日( 土 ) 12:30-15:00 ◆場所:  オンライン( Zoom ウェビナー) ◆ 主催: ダーバン+ 20:反レイシズムはあたりまえキャンペーン ◆ 協力: 人種差別撤廃 NGOネットワーク(ERDネット)、Peace Philosophy Centre、市民外交センター、ヒューライツ大阪 第1部  講演と対話「ダイバーシティ」への異議 発題1  「マジョリティの特権とは ――レイシズムの観点から」  出口真紀子(上智大学)   本シンポジウムのテーマは、「多様性(ダイバーシティ)」の尊重という流れに潜む不公正あるいは隠された差別を明らかにし、公正な社会への道筋を示そうというものである。出口報告は、これに対し、これまでの人権学習がマイノリティ側について学ぶことに終始してきたとし、むしろ特権を持っているマジョリティ側に、その態度・心理・行動・成長を自覚させる教育を提唱する。なぜこうした教育が必要かといえば、マイノリティに対する差別の問題は、ほとんどマジョリティの側に問題があるからだ。現在の日本社会では、具体的な集団に対し総括すれば「マイノリティ特権」というヘイトの言葉が溢れるが、むしろ「特権」はマジョリティの側にあるという認識は極めて重要なポイントである。  この「特権」という言葉は一般的にどう認識されているだろうか。大学生に多い回答は、一時的な立場に基づく優遇を指す。また、「マジョリティ特権」とは、あるマジョリティ側の社会集団に属していることで、労なくして得られる優位性であり、この優位性には権力も含まれる。そして、「マジョリティ特権」は、自動ドアの例で説明される。ある人間が入口から入って大きな建物の中を進んで行くとする。彼は、ただ目的地に向かって普通に歩いて行くだけである。途中にいくつもの自動ドアがあるが、彼が歩いて行くと、ドアは自動で開き、ドアがあることさえ認識せずに進んでいける。彼自身は、自分をマジョリティの側の人間とも認識していないかもしれない。行きたいところに進んで行けば、道が何の苦労もなく開けるのである。比較すれば、マイノリティに属する人は、歩いて行くと、途中に何重にもドアがあるが、それぞれ自動では開かない。ドアを開けるには鍵や番号が必要かもしれないし、どうやっても開かないドアもあるだろう。この自動ドアのたと