シンポジウム「みんな違って、みんないい」に違和感あり! ―「ダイバーシティ」でホントにいいの? 報告

◆日時: 2022年219日(12:30-15:00
◆場所: オンライン(Zoomウェビナー)
主催: ダーバン+20:反レイシズムはあたりまえキャンペーン
協力: 人種差別撤廃NGOネットワーク(ERDネット)、Peace Philosophy Centre、市民外交センター、ヒューライツ大阪

第1部 講演と対話「ダイバーシティ」への異議

発題1 「マジョリティの特権とは――レイシズムの観点から」 出口真紀子(上智大学)

  本シンポジウムのテーマは、「多様性(ダイバーシティ)」の尊重という流れに潜む不公正あるいは隠された差別を明らかにし、公正な社会への道筋を示そうというものである。出口報告は、これに対し、これまでの人権学習がマイノリティ側について学ぶことに終始してきたとし、むしろ特権を持っているマジョリティ側に、その態度・心理・行動・成長を自覚させる教育を提唱する。なぜこうした教育が必要かといえば、マイノリティに対する差別の問題は、ほとんどマジョリティの側に問題があるからだ。現在の日本社会では、具体的な集団に対し総括すれば「マイノリティ特権」というヘイトの言葉が溢れるが、むしろ「特権」はマジョリティの側にあるという認識は極めて重要なポイントである。

 この「特権」という言葉は一般的にどう認識されているだろうか。大学生に多い回答は、一時的な立場に基づく優遇を指す。また、「マジョリティ特権」とは、あるマジョリティ側の社会集団に属していることで、労なくして得られる優位性であり、この優位性には権力も含まれる。そして、「マジョリティ特権」は、自動ドアの例で説明される。ある人間が入口から入って大きな建物の中を進んで行くとする。彼は、ただ目的地に向かって普通に歩いて行くだけである。途中にいくつもの自動ドアがあるが、彼が歩いて行くと、ドアは自動で開き、ドアがあることさえ認識せずに進んでいける。彼自身は、自分をマジョリティの側の人間とも認識していないかもしれない。行きたいところに進んで行けば、道が何の苦労もなく開けるのである。比較すれば、マイノリティに属する人は、歩いて行くと、途中に何重にもドアがあるが、それぞれ自動では開かない。ドアを開けるには鍵や番号が必要かもしれないし、どうやっても開かないドアもあるだろう。この自動ドアのたとえを使えば、「マジョリティ特権」が「特権」として認識されない構造は、自動ドアの「センサー」にある。「センサー」はドアに近づく人間を感知し、識別してドアを開けるが、この構造に気づかなければ、マジョリティは何も感ぜずに通過でき、通過できない人がなぜ立ち止まっているかもわからない。

 ここで、出口は、マジョリティ性とマイノリティ性に言及する。マジョリティ側あるいはマイノリティ側の社会集団という言い方はそう単純ではない。例示するための単純化として、7つの属性を挙げ、マジョリティ性とマイノリティ性を整理する。属性を、人種・民族、ジェンダー、性的指向、性自認、学歴、社会階級、身体・精神で別ければ、マジョリティ性には、白人(米国)・日本人(日本)、男性、異性愛者、シスジェンダー、高学歴(大卒以上)、高所得者、健常者が当てはまる。対してマイノリティ性には、非白人・外国人・在日コリアン・アイヌ・・・、女性・他、同性愛者・他、トランスジェンダー・Xジェンダー、低学歴者、低所得者、障害者が該当する。それぞれの立場は複合的であり、交差的である。

 幸い日本では、昔に比べれば一定の人権教育が行われるようになった。日本社会の一般的な構成員は、差別は悪いこと、差別してはいけないとしっかりと学んでいる。しかしそこで人権の認識は止まっており、差別する悪い人はいるが、それは本人の問題であって、自分は差別してないから問題ないと考える。これまで見てきたように、従来の人権教育では、構造的・制度的差別の概念・理論が紹介されておらず、マイノリティ集団の差別体験とマジョリティ集団の特権体験が共有されてこなかった。特権と差別は表裏一体である。この後、米国や英国での「マジョリティ特権」を学ぶ事例が報告され、構造的差別を変えるためには、自動ドアの事例でいえば、「センサー」をより公正にする必要があると結ばれた。

発題2 「なぜ「多文化共生」ではなく「多民族・多文化共生社会」なのか―戦前・戦後日本の外国人・民族的マイノリティ政策を問う―」 丹羽雅雄(弁護士)

 丹羽報告は、詳細なレジュメを配布の上、幅広い視野から「多民族・多文化共生社会」論の重要性を明らかにした。近現代日本の歴史を通じて形成された差別構造の根深さと、その解体のための思想と理論が以下のように詳細に提示された。

 第1に、戦前の植民地支配と外国人政策として、大日本帝国憲法施行(1890 年)以前の「内地植民地」と施行後の「外地植民地」を検討した。内地植民地支配とは、1869 年、アイヌ先住民族のアイヌモシリを北海道と名付けて大日本帝国の版図に組み入れ(1899 年北海道旧土人保護法制定)、1879 年、琉球王国を解体し、沖縄県として大日本帝国に併合したことを指す。その後「人類館」事件が発生し、アイヌ・琉球の遺骨が学者により盗掘されるという事件も起きた。これは学知の植民地主義と言える。外地植民地支配と領域の拡大とは、1895年の台湾割譲、1910 年の朝鮮併合、その後の 1932年満州国の建設(間接統治)と東南アジアへの軍事植民地化の拡大を指す。1945年8月14日のポツダム宣言受託による敗戦の結果、外地植民地を喪失した。

 朝鮮の植民地支配と戸籍登録や、戦前の外国人管理法制度について瞥見した後、戦時強制動員及び強制連行・強制労働の経緯も詳しく論じた。植民地支配責任・戦争責任・戦後補償の課題や、在日中国人(華僑)の歴史的経緯と法的地位にも言及した。

 第2に、戦後日本の外国人・民族的マイノリティに対する国家政策として、旧植民地出身者とその子孫の法的地位と新たな在留外国人問題、日本国籍の一方的喪失と出入国管理法体制による統治、2012 年施行の新たな在留管理制度と2018年の入管法一部改定を通じて、「移民政策とは異なるものとして、外国人材の受入れを拡大する」ことが目指され、法律の根拠はなく、法務省外局となった出入国在留管理庁(司令塔)の外国人管理法制度の枠内に、安倍官邸主導による行政政策としての「共生社会政策」が導入された。

 第3に、外国人法制度の経緯と法的構造として、戦後の外国人法制の特色(1980年代中期までは、旧植民地出身者が主な対象)、日本国憲法と外国人の人権に関する従来の考え方を検討し、「基本的人権」が日本国民のものとされ、外国人には人権を認めない国家と社会が形成されたことが確認される。出入国管理に従事する職員の意識構造も、「外国人を煮て食おうが焼いて食おうと自由である」(1965年法務省入管局参事官池上努)という言葉に象徴されるように、一貫して差別と排除の政策が追及された。この間、閣僚や地方自治体首長等による「単一民族国家意識」発言が相次いだ。

 第4に、「多文化共生」や「ダイバーシティ」概念の問題点と解決すべき課題として、2019年「アイヌ施策推進法」が施行(アイヌ民族を法的に先住民族と認める)されたが、国連の先住民族の権利宣言に基づく、土地や環境保全などの本来的な権利規定は存在しない。また、旧植民地出身者やその子孫、琉球民族を民族的マイノリティとして認めていない。280万人を超える外国籍者に対しては、その民族性も、「移民」としての法的地位も認めてはいないと指摘する。

 それゆえ、「多民族・多文化の共生社会」の構築にこだわる必要がある。大日本帝国による植民地支配と侵略という歴史の清算が戦後の冷戦構造によって封印された。外国人・民族的マイノリティに対する政策は、歴史的・構造的な植民地主義政策(治安・管理、労働力利用を中心とする政策)と人種差別政策としての出入国在留管理法制度が基本的に維持されている。外国人・民族的マイノリティの人権基本法や人種差別禁止法が存在しない。外国人住民基本台帳の登録者ですら地方参政権を認めず、日本社会を共に担う外国人・民族的マイノリティの子ども達に民族的・文化的アイデンティティを育む教育への権利を認めておらず、歴史的・構造的な人権侵害と差別が温存されている。ヘイト・スピーチ、ヘイト・クライムが多発し、差別排外の社会意識が拡大している。だからこそ「多民族・多文化の共生社会」という視点が重要であるとして、報告は終了した。

対話:「ダイバーシティ」のどこが問題か~教育を切り口として モデレータ:榎井縁

榎井(モデレータ):朝鮮高校無償化裁判の公判に参加する朝鮮学校生徒が、事前に制服のチマチョゴリを弁護士会館で着替えなければならなかった。マジョリティはこういったことに気づかない。

丹羽:学校を象徴する制服を着られないという現実がある。無償化裁判の大阪地裁の判決(朝鮮学校の無償化からの除外は違法であるとし、国に対して処分の取り消しを命じた)後、生徒たちが「やっとこの社会で生きていけるんだと思えた」と述べた。こういうことを言わせる社会とは一体何なのだと思う。

出口:アメリカの黒人フェミニスト作家のベル・フックスが2021年12月に亡くなった。そのとき住んでいたのは保守層の多いカンザス州のベルエアという町。白人が多い町だが、白人マジョリティが「人種差別を許さない」としてさまざまな施策をしている。フックスは白人が多数派の町だが安心して暮らせると言っていた。これは日本社会のビジョンになる。

榎井: 丹羽さんがこだわる「民族」という言葉について。教育現場では「民族」の語は使われなくなり、「多文化共生」が取って代わっている。「民族」が何か特殊なことと受け止められたり、攻撃の対象になったりする。民族的マイノリティが教育を受ける権利についてどう考えるか。

丹羽:教育の権利を含め国際人権規範を考えるときにマイノリティに光を当てることが重要だと思い、「民族」という言葉を使っている。普通教育に加えて、朝鮮語での教育だけでなく固有の民族的、文化的アイデンティティを育む教育を保障しなければならない。民族的マイノリティに人権の光を当てることができるかがその社会の試金石になる。しかしいま、「民族」という語が消されている。その中で前面に出てくるのが多数者である大和民族。この意識が入管の官僚の言葉に現れ、在特会の「民族的マイノリティを消してしまえ」という言辞に見られるように、市民社会にも入り込んでいる。

出口:「多民族多文化共生」という丹羽さんの言葉に賛同。自分が所属していたボストン大学の組織の名称はInstitute for the Promotion of Race and Culture(人種・文化促進研究所)(2000年設立)。Race (人種)という語を入れることが議論をよんだ。設立者は人種という語を入れることは絶対に譲れないとした。人種という語が入ると、マジョリティは人種差別という問題を突きつけられているように感じる。日本でも「民族」という語を入れるとマジョリティとしての罪悪感を覚えるため、なるべく見たくないという意識が働く。権力関係をはらまない「文化」という語を使い、みなが平等に文化を楽しもうという雰囲気にもっていきたくなる。これは非常に危険だ。

榎井: 丹羽さんの言葉にどきっとした。多数者のことは「民族」とは言わないが、実は「大和民族」である。しかしとそれを意識していない。「当たり前」として見られている。「日本語ができなければ日本の学校で困るから日本語教育が必要」というのが、いまの日本のメインストリームの考え方だろう。文化以外の政治などの要素を持ち込むと「ややこしい」という反応が出る。マジョリティが自分たちが何をしてきたのかについて学ぶ歴史教育がなされていない。

丹羽:国家による歴史修正、改ざんは教科書検定を通して行われてきた。1982年に家永三郎の歴史教科書にあった南京事件の記述に検定意見が出されたのが端緒。最近は自民党は国家安全保障戦略の中に教育を取り込み、愛国心教育を促進しようとしている。「子どもが自虐史観に陥ることなく、自分の歴史、文化を誇りをもてるようにすること」がいまの与党自民党の方針。日本語教育も重要だが、人の精神的文化的基礎となる母語、継承語を育む制度的保障を構築する必要がある。

出口:在日の歴史を知らずに大学に入ってくる学生が多い。極端な例では「在日」という言葉自体が差別用語だと思っていたという学生もいる。母語・継承語問題では「なぜ在日の人は、これからも日本に住むのに日本の学校に行かずに朝鮮学校に通うのか」という質問をよく学生から受ける。日本の学校に通って朝鮮人としてのアイデンティティを育むことや朝鮮語を系統的に学ぶのは難しい。それに対し日本人は、日本の学校で民族的アイデンティティを育むことができ日本語も系統的に学べる。重要なのは民族意識は個人が孤立した状態では生まれないこと。周りがみな朝鮮人で日常的に心を開いて過ごせる教育環境で、ようやくポジティブなアイデンティティが育まれる。マジョリティである日本人はすでにそうした環境を得られている。だから民族的マイノリティにもそれを保障する社会にしなければならない。こう話すと学生たちも納得する。

榎井:教育は国民をつくる。しかし日本ではその国民は他の民族に開かれたものではなく、しかも安全保障と結びつけられている。出口さんの「差別をする子どもをつくるには差別のことを教えないことだ」という指摘にあるように、差別のことを教えることが重要だということが確認できた。

 

2部 ディスカッション「ダイバーシティ推進で何が起きているか」

発題1 「大阪市多文化共生指針(2020年)-「参加」「権利行使」の視点から「多様性」を考える」 藤本伸樹(ヒューライツ大阪)

16年ぶりに改定された指針

 大阪市は、2004年3月に策定した「大阪市外国籍住民施策基本指針」(改定)の後継指針として2020年12月に「多文化共生指針」を発表した。「外国籍住民施策基本指針」は最初1998年に策定されたのだが、2004年改定の後、16年間の状況変化を受けてこの指針が新たに打ち出された。

 2004年12月末時点では、大阪市の外国籍住民122,019人のうち「韓国・朝鮮」が全体の約74%を占める89,878人であったのに対し、2019年12月末には外国籍住民が145,857人に増加した一方、「韓国・朝鮮」は65,362人(全体の約45%)へと減少した。おもな在留資格は、特別永住者49,603人、永住者26,928人、留学22,368人、技術・人文・国際業務14,459人となっている。国籍や在留資格の多様化に伴い、課題は確かに多様化した。

 従来の指針が、特別永住者(旧植民地出身者とその子孫である韓国・朝鮮人および台湾人)をめぐる課題に重心を置いていたのに対して、「多文化共生指針」はより間口を広げ、日本語支援や多言語対応など、多様な構成員からなる市民のニーズに取り組む内容になっている。新指針がカバーするのは、「外国人住民」だけでなく、日本国籍を取得した人や、国籍は日本であっても「外国につながる市民および児童生徒」としているのである。

歴史的に連なる課題

 大阪市は新指針に沿って行動計画を立て、行動計画の進捗状況に関して、担当部局ごとにその取り組みをウェブサイトで公開するようになった。そうした肯定的な側面の一方で、旧指針の時代から続く未解決の課題が積み残されたままになっているのである。

 「多文化共生指針」策定の準備段階では、2019年度に「大阪市外国人住民アンケート調査」が実施され、有識者からの聞き取りが行われ、「素案」が公表されパブリックコメントに付されるというプロセスをたどった。

 「素案」では、従来の指針にあった「大阪市の韓国・朝鮮籍の住民の多くは戦前の植民地政策によって日本に来住し、戦後も日本に住むことを余儀なくされたという歴史的経緯」に関する説明が消えていた。また、「懇談会や行政課題をテーマとした意見交換会」といった市政への参加や、「消防吏員をのぞく全職種において採用試験の受験資格で国籍要件を削除して採用試験を実施している」とするなどの公務員への採用に関する記述が消滅していたのであった。

 それらの一部は、パブコメで寄せられた意見を通じてかろうじて復活した。しかし、「朝鮮人学校等の外国人学校への支援」に関しては消滅したままとなった。

 2018年、国連人種差別撤廃委員会は日本政府の人種差別撤廃条約の実施状況に関して発表した総括所見のなかで、外国籍住民に対する地方参政権の付与、および公権力の行使または公の意思の形成への参画に向けた改善勧告を出している。それらは、いまに始まったことではなく積年の課題でなのである。大阪市はかつて外国籍住民をめぐる施策において全国をリードしていたはずなのだが、「多文化共生指針」はその後退ぶりを示している。

持続可能で多様性と包摂性のある社会への課題

 2020年2月、大阪市の「大阪都構想」の2度目の住民投票(同年11月実施)への外国籍住民の参加を求める市民の声に対して、松井一郎市長は「国の参政権、地方参政権と同様に、やはり日本国籍を持たれた方に判断をいただきたい」と答えた。

 外国籍住民の「参加」を促しながら、住民投票の権利や地方参政権を外国籍住民に付与しないなど、「権利行使の主体」であることを認めないという現実がある。それらは、大阪市だけでなく、国および大半の自治体の姿勢でもある。

 「多文化共生指針」では、多文化共生を次のように凛と定義している。「多様な価値観や文化を認め、国籍や民族、性別や出身などの違いを理由として社会的不利益を被ることがなく、一人ひとりが個人として尊重され、相互に対等な関係を築き、その持てる能力を十分発揮しつつ自己実現を目指して、社会参加できる創造的で豊かな社会」。

 また同指針は、「SDGsが掲げる『誰一人取り残さない』という理念は、大阪市がめざす多文化共生の方向性と一致するもの」と述べるとともに、「SDGsで掲げられている『誰ひとり取り残さない』ための、多様性と包摂性のある社会の実現につながります」とSDGsが目指す理念を強調している。

 であるならば、外国籍住民が地域で真に「参加」できるよう持続可能で多様性と包摂性のある社会の実現に向けた姿勢を示すべきではないだろうか。

<参照>

大阪市多文化共生指針 https://www.city.osaka.lg.jp/shimin/page/0000523890.html

発題2 「カナダの多文化主義の光と影」 乗松聡子(ピース・フィロソフィー・センター代表

多様な民族的・言語的背景の人々からなる社会

 2015年11月、約10年続いた保守党政権を倒した自由党のジャスティン・トルドー党首が新しく首相の座に就いた。自称フェミニストの彼はさっそくジェンダーバランス内閣を導入し、内閣お披露目の場では報道陣を前に「だって今は2015年だから」と誇らしげに語った。その後二度の総選挙で自由党は第一党を維持し、7年目の今、内閣39人のうちLGBTQ2S+(性的マイノリティ)のメンバーが3人いるのをはじめ、障害のある人、先住民族、難民出身の人、アジアやアフリカを背景に持つ人など、トルドーが「カナダのように見える」と言った多様性内閣は健在である。国会議員の女性比率は約30%(世界58位)で、約10%で低迷している日本に比べたらジェンダー平等は進んでいると言えるのであろう。

 カナダは5年ごとに国勢調査を行う。データが揃っている最後の調査が2016年のものだが、約3500万人の人口のうち、自認による民族的ルーツは250以上ある。100万人以上いるルーツは、多い順に、カナダ、イングランド、スコットランド、フランス、アイルランド、ドイツ、イタリア、華人、ファーストネイションズ、南アジア、ウクライナ、オランダ、ポーランドである。人口の約22%は「ビジブル・マイノリティー」(白人でも先住民でもない)である。一方、人口の約22%が外国出身者である。バイリンガル(英語とフランス語)は約18%。約800万人が公用語以外の母語を持ち、約20%が家庭で2つ以上の言語を話す。ちなみに私は日本出身の移民で、「ビジブル・マイノリティー」にも該当し、公用語以外を母語に持ち、カナダ生まれの子がいる家庭で英語と日本語を使う典型的な移民一世である。

多文化主義を法制化した世界初の国

 カナダの多文化・多民族・多言語社会を下支えしているのが「多文化主義(multiculturalism)」政策である。歴史的に英仏戦争に勝利した英国系が中心となって作った国であり、フランス系が抑圧された背景から、フランス語圏のケベックのナショナリズムが台頭し、1960年代のレスター・ピアソン首相の時代に二言語・二文化主義への道が拓かれた。次のピエール・トルドー首相時代に公用語法(1969)が定められ二言語主義が法的に保障された。と同時に、英語系でもフランス語系でもない移民集団からの不満も高まり、1971年、多文化主義を国家の政策と位置づける。カナダは1867年の連邦結成以降も、英国からの独立を段階的に獲得してきたが、1982年には独自の憲法「権利と自由憲章」が成立、その27条に多文化主義が書き込まれる。1988年、ブライアン・マルルーニ政権下で「カナダ多文化主義法」として多文化主義を法制化した世界初の国となった。

植民地主義と人種主義の「歴史」

 このように多文化主義「先進国」であり、自然も豊かで、寛容な国といったイメージのあるカナダではあるが、現実はどうなのか。2015年11月、就任直後に英国の議会で演説したトルドー首相は、カナダの強みとしての「多様性」を強調しながら、「…先住民族にとっては、カナダの現実は易しく平等で公平と言えるものではなかったし、今もそうではありません…私たちの歴史には暗い過去もありました。華人への人頭税、第一次・二次大戦時の、ウクライナ系、日系、イタリア系カナダ人の強制収容、ユダヤ人やパンジャブの難民を追い返したこと、私たちの国にも奴隷制があったこと」と言った。カナダは植民地主義や人種主義の歴史を背負っているからこそ、そこから脱するために少しずつ歩んでいると言ってもいいのかもしれない。とりわけ先住民族についてはカナダの植民地主義は「歴史」ではなく現在進行形の構造的暴力である。

 ネイティブ・ランド・デジタル(native-land.ca) というサイトがある。先住民族の視点から、民族のテリトリー、言語、植民者と交わした条約などの条件で地図を表示できる。これを見ると、近現代の入植者により「多様性」が謳われるはるか前から、カナダと米国の国境が引かれるはるか昔から、すでに北米大陸は「多様(diverse)」な土地であったことがわかる。現在カナダと呼ばれる土地に人類が到達したのは氷河期末期(8万年前から1万2千年前)ぐらいであろうと言われている。15世紀末ごろから欧州人の入植があり、その時点での北米の先住民族の人口は、諸説あるが200万から1千万人、62語族の400以上の言語があったと推察されている。欧州人との接触がきっかけで先住民族が免疫をもたなかった様々な病気で人口が激減し、戦争や植民地主義的政策など、全て入植者がもたらした要因で苦しめられた。2016年の国勢調査ではカナダに先住民族は約170万人、人口の約5%を占めている。カナダでは先住民族は主に「ファーストネイションズ」と呼ばれるが、現在、全国に630以上のコミュニティがあり、50以上のネイション(民族)と、50以上の言語がある。カナダでは他に、欧州の入植者と先住民族の混血の子孫である「メイティー」と、北部に住む「イヌイット」の人たちがいる。

先住民族に対する同化政策

 カナダ現代社会に今も深い影を落としているのが「インディアン・レジデンシャル・スクール」という強制同化政策であった。連邦化したカナダは「インディアン法」(1876)を定め先住民族を居留地(Reserve)で管理した。カナダ初の首相となったジョン・A・マクドナルドは1883年に寄宿学校制度を導入する。彼が同年議会で語った「学校が居留地にある場合、子どもは野蛮人である両親と暮らし、野蛮人に囲まれている...子どもは単に読み書きのできる野蛮人になるだけだ」という言葉が当時の植民地主義を象徴している。一世紀以上にわたり約15万人の子どもたちが親元から引き離され、全国に139校あった政府とキリスト教教会各派が運営する寄宿学校に送られた。多くの場合劣悪な住環境で栄養も悪く、学校とは名ばかりで実質強制労働をさせられ、指導的立場にいる聖職者による性的、肉体的、精神的虐待が横行した。逃亡すれば捕まり拷問を受ける、先住民族の言葉を使ったら舌に針を刺される、神父により性暴力を受け妊娠させられる(生まれた子は葬り去られる)といった残酷さだ。死亡率も高かった。2021年以来全国各地の寄宿学校跡に、地中レーダー技術を使って、子どもたちが埋葬されていた「墓標なき墓」が何百という単位で発見され続けている。

 先住民族が政府を相手取ったカナダ史上最大の集団訴訟の結果、2006年に「インディアン・レジデンシャル・スクール和解協定」が成立し、2008年には当時のスティーブン・ハーパー首相(保守党)が国会で謝罪した。協定の一環として、記憶の継承、和解と癒やしを目指す目的で2010年から全国7箇所で「真実と和解委員会」が開催され、約7000人の体験者に聞き取りを行い、一般のカナダ人がこの歴史を知ることができるような催しが持たれた。私の住むバンクーバーでも2013年9月に4日間開催され、地元の大学生は参加するために大学の欠席を許された。私も学びに行ったら、偶然小学生の娘のクラスの子たちと遭遇した。日本もこのように、アイヌ、琉球/沖縄、朝鮮の人たちに対して行った植民地主義政策とその被害を学ぶために国費を投じて一般の日本人が被害者証言を聞き歴史を学ぶ機会を提供するようになって欲しいと思う。しかし、残念ながら今の日本政府は、国費をかけて日本軍「慰安婦」や強制連行の歴史を否定するという真逆の方向に走っている。

多文化主義の課題

 カナダの植民地主義もまだまだ続行中である。先住民族はいまだに、糖尿病が多いなど健康の問題、低所得、高失業、犯罪の被害者にも加害者にもなる確率が高い、若者の自殺が多いなどの課題がある。ブリティッシュコロンビア州北部で、先住民族の同意を十分得ずしてパイプライン建設が強行されている地では「“和解”は死んだ」とのスローガンが掲げられた。

 「和解(reconciliation)」は、カナダと先住民族との関係改善を象徴する言葉である。しかし「多様性」と同様、「和解」もマジョリティ側(加害側)の言葉である。「和解」はマジョリティ側が押し付けるものではなく、カナダが構造的差別をやめ、脱植民地化が具体的に進むにつれて徐々に実現してくるものなのではないか。2021年末、Walrusというネット媒体の特集「多文化主義は未完成」に寄稿した先住民のライター、ダニエル・パラディス氏は、「多文化主義は、『カナダ』を正当化し強化するための道具であり続けているが、先住民族を最小化し抹消する道具でもあり続けている」と指摘した。先住民族を置き去りにしたカナダの「多文化主義」に突きつけられた挑戦である。私も、そのカナダを構成する一人として、受け止めている。

(コーストサリッシュ族の土地にて

※本報告はヒューライツ大阪ニュースレター「国際人権ひろば」2022年5月号に掲載された) 

全体討論

質疑応答

Q: 「強制連行」という語を使用しないことが昨年、閣議決定され、それに従ってすでに検定を終えていた教科書から「強制連行」の語が削除された。

丹羽2021年4月、内閣が「「従軍慰安婦」の語を用いるのは誤解を招く。単に「慰安婦」という用語を用いるべき」「朝鮮半島から内地に入植した人について「強制連行」もしくは「強制的に連行された」または「強制された」と表現するのは適切でない。よって「徴用」という言葉が適切である」との閣議決定が行われ、すでに検定済みの教科書も訂正することを勧告した。5月、文科省が教科書会社を対象に臨時説明会を開き、訂正申請のスケジュールを具体的に示すことで、事実上、訂正を指示した。これに対し2022年2月、日本弁護士連合会が、これは国家・政府による教科書統制、教育への行政の過度の介入であり、憲法26条(教師の教育の自由、子どもの学習権)を侵害するから到底許されないとの会長声明を出した。

Q: 企業研修で男性の特権を伝えようとすると、男性もジェンダー規範による生きづらさや苦労をか抱えているという考え方に行きつく人が多いのではないか。男女の特権・抑圧構造とジェンダー規範による男性の生きづらさの違いをどう整理したらよいか。

出口:男性もジェンダー規範の中でつらいとしても、だから女性のつらさをないことにはできない。健常者が障碍をもつ人に「健常者だってつらいんだ」と言うことがおかしいのと同じようにおかしい。男性はそうしたつらさを、制度を作っている側、権力の側に対して訴えてほしい。男女の権力の非対称性は歴然と存在し、そもそも誰がその制度を作ってきたのかに焦点をあててほしい。

Q: 日本で日本人が優遇されるのは当然と考える人も多い。それに対してどのようにアプローチしたいいか。

出口: グローバルな視点をもつ必要がある。日本は国際社会の一員。アメリカでは就職に際して国籍差別を禁じている。だから仕事の面接で一度もアメリカ人か、何人かと聞かれることはなかった。自分自身、民族、人種、ジェンダー、年齢などを理由に差別してはならないことを掲げている国の恩恵を受けて感謝の気持ちをもっている。多くの人がそういうポジティブな気持ちを持てるような国に日本がなれば、いい国だと評価される。日本はこれから人権や平等、公平性といった価値を身に付けてグローバルな社会の中で生きていかなければならない、というメッセージを教育の中で発していく必要がある。

第二部発題者の発題を受けてのコメント

出口さんへ:「大阪市長の発言などは日本人の特権が脅かされることへの不安の現れか?」という提起(藤本)について、これをマジョリティの特権という観点からどう理解したらよいか。また、参政権を求めるなら日本人になるべきだという議論に見られる「日本人」と「外国人」の明確な区別は、どんな意味はあるのか。マジョリティの特権という観点からどう考えるべきか。

出口:アメリカのトランプ政権が誕生した背景には、白人男性異性愛者の特権を守りたいという動きがあった。あと数十年経てば人口の上で白人は少数派になると見られ、そのために危機感がある。それに比して日本で日本人は人口の90数パーセントを占める圧倒的なマジョリティ。移民に対しても門戸を広げているわけではないので、今後も人口比率はそれほど変わらないだろう。にもかかわらず「日本人になれ」という主張がここまで強いのは、自らの特権に無自覚だから。マイノリティが入ってくると自分たちの特権が脅かされると感じるのではないか。しかし、日本人は圧倒的なマジョリティ性を持っている。

丹羽さんへ:「多文化共生指針」では外国人を権利行使の主体として扱っていない。権利行使の主体を国籍と結びつける考え方は日本では非常に根強い。この背景には日本社会のどのような構造や背景があるのか。

丹羽: 第二次世界大戦のナチズムの惨禍を経て、戦後、一国内の著しい人権侵害は国際平和を脅かすこと、戦争は最大の人権侵害であることを念頭に国連は出発した。世界人権宣言に続いて採択された国際人権規約はその第一条に植民地化された人民の自決権をおき、また主権はすべての人にあると認めた。しかし、日本は戦後、外国人の参政権を停止し、日本国籍者と外国籍者を分かつ二元的制度を取り続けてきた。これをどう脱却するか。日本には「市民」概念がない。地方自治にも外国人の参加を認めていない。この「市民」概念を打ち立て広めていく必要がある。 

(文責:反レイシズムはあたりまえキャンペーン実行委員会)


 

 

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