ダーバンからの道・ダーバンから見る日本――ダーバン会議とその後の20年を振り返る

1 ダーバンからの道

 20年前の2001年9月8日、ダーバン(南アフリカ)で一つの宣言が採択されました。

世界の被差別当事者と人権活動家が1万とも2万とも言われる数集まり、熱意と希望を込め、世界の約200か国が同意してまとめあげた反差別宣言の正式名称は「人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容に反対する世界宣言・行動計画」(ダーバン宣言・行動計画)です。

ダーバン宣言は、植民地時代の奴隷制は人道に対する罪であったので、謝罪と補償の道徳的義務があると認めました。人種差別の主要な被害者はアフリカ人とアフリカ系人民、アジア人とアジア系人民、及び先住民族です。移住者、難民、難民申請者など国民でない者に対する外国人排斥問題も掲げられました。さらに若者、女性、被害を受けやすい集団が確認され、貧困、低開発、周縁化、社会からの排除、経済不均衡が俎上に載せられ、武力紛争と人種主義の関係が指摘されました。

宣言採択後の同会議閉会式で、ズマ南アフリカ副大統領は「ダーバン宣言は到達点ではない。ここからの道をいかに歩むかが問われている。私たちは人種差別との闘いという最大の課題にこれから挑戦するのだ」と、闘いの始まりを宣言しました。

それではダーバンからの道を、世界はどう歩んできたでしょうか。日本はどうだったでしょうか。

残念ながら、ダーバンからの道は平坦ではありませんでした。ダーバン会議を途中ボイコットしたアメリカとイスラエルはダーバンの成果を非難し続けました。ダーバン宣言採択から3日後の9.11(同時多発テロ)は世界を暗転させ「テロとの戦い」と称する「人種差別戦争」が仕掛けられ、アフガニスタン、イラク、シリアをはじめ戦場が拡大し、宗教対立、資源紛争、地域紛争が激化しました。パレスチナへの土地収奪、差別、そして空爆が続きます。

旧植民地宗主国も「ダーバン・フォローアップ作業」に十分取り組んだわけではありません。西アジア・中東・アフリカ北部からの難民問題が事態をさらに複雑にしました。ブラック・ライブズ・マター(BLM)運動が拡大し、イスラムフォビア(イスラム嫌悪)、アジア系差別、反ユダヤ主義などへの抵抗が続いています。

国連人権機関や世界の人権NGOの努力にもかかわらず、世界は人種主義と人種差別が蔓延しています。あらゆる国境の内と外で、人々が弾き出され、囲い込まれ、自由と尊厳を奪われたままです

 

2 ダーバンから見た日本

 わたしたち日本の人権NGOとそのメンバーは、ダーバン会議から反差別のエネルギーを受け取り、日本におけるレイシズム(人種主義)とそこで議論されたさまざまな差別問題とその形態を改めて考え直し、その後の人権運動に活かすために格闘してきました。しかし、ダーバンからの道は細く険しいものでした

 侵略戦争と植民地時代の日本軍性奴隷制(慰安婦)問題の解決は、1990年代からの被害女性や支援団体の懸命の努力にもかかわらず、今やはるかに遠のいてしまいました。奴隷的な強制労働の徴用工問題においても、解決を拒否し、開き直る習性がこの国と社会に根付きつつあります。

 植民地主義の被害者に対する人権侵害も改善の兆しを見ることが困難です。植民地時代にさまざまな理由から日本列島に在住することになった在日朝鮮人に対して、日本政府は差別的政策を取り続けています。国連先住民族権利宣言の採択(2007年)にもかかわらず、アイヌ民族に対する差別と同化の強制に変わりはなく、先住民族としてのいかなる権利も保障されていません。琉球民族の先住権を認めようとせず、きわめて危険な米軍基地押し付け政策が続いています。アイヌ民族と琉球民族の遺骨は「学問」の名のもとに盗み出され、いまだに返還・謝罪ばかりでなく、事実認定もおこなわれていません。

 被差別部落出身者に対する差別の撤廃と人権状況も改善も不十分なままであり、インターネット上で全国の被差別部落の所在地情報が掲載された「部落地名総鑑」が拡散されるといった新たな差別事件が起きています。

 在日朝鮮人、アイヌ民族、琉球民族、被差別部落出身者に限らず、さまざまなマイノリティ集団に対するヘイト・クライムとヘイト・スピーチが蔓延っているにもかかわらず、必要な人権保護対策がとられていません。

 民族や世系に加えて、性別、ジェンダー・アイデンティティ、セクシュアル・オリエンテーション、階級、障害などを理由にした差別など、多様な差別が交差する複合差別の解消に向けた努力も極めて不十分と言わざるをえません。次代を担う子どもや若者の権利保障もおざなりにされてきました。

 こうした差別政策や制度に対して市民社会もときに無関心、鈍感で、あるときにはそれに加担してきました。

 わたしたちは、差別と抑圧に抗して闘ってきた被害者に学びながら取り組みを続けてきました。しかし、まだまだ積み残した山のような課題が目の前にあります。ダーバンからの道のりを振り返り、わたしたちは今こそ志を新たにし、差別のない社会を作るための道のりを歩みます。


2021年9月

ダーバン+20:反差別はあたりまえキャンペーン

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